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■2021/02/03(水) 【レビュー】くさった死体!の巻


【レビュー】■2001/04/02 (月) くさった死体!の巻

嫉妬かぁ~。

今は、そういう感情もあんまりなくなってしまったかもな。(笑)

これ不思議なことに、
ナンパでたくさんの女性とHしても、
恋愛における嫉妬心は、なくならないんですよ。

ようするに、ナンパで女を口説くのと、
恋愛感情は別物であるわけです。

好きな女がいるわけでもないのに「彼女が欲しい」とか言う奴。

こりゃぁ、恋愛じゃないわけですよ。

んじゃ、何かというと・・・

単純に寂しさの表れでしかないわけです。

これ男女ともに同じ心理です。

「彼氏がほしい」
「彼女がほしい」

この感情は、恋愛ではないし、

「彼氏の作り方を教えます」
「彼女の作り方を教えます」

これも恋愛技でも何でもありません。

なぜなら対象物が存在していないのにもかかわらず、その自己における寂しさを埋めようとする心理でしかないわけですから。

寂しさを埋めるために、
不特定多数にアプローチをかけて、

自分に興味を持たせる。

その結果として自分の望む関係性を手に入れる行為。

これは全部、ナンパです。

男女ともにナンパのテクニックに属します。

これを恋愛テクニックなどと、思ってしまう人は、なーーーーんにもわかっちゃいないわけですよ。

だから「色恋」なんていう偽恋愛感情に騙されてしまうし、

ナンパのテクニックはあるくせに、女に色恋つかわれて、貢いでしまうなんて男もたまにいるわけです。

ちなみに「色恋」が悪いと言っているわけじゃないので、あしからず。

キャバクラにしろ、ホストにしろ、レンタル恋人にしろ、復縁工作会社にしろ、別れさせ屋にしろ、擬似恋愛市場というものはあるわけだから。

この市場を動かしてるのは仕事として活動してるわけだ。

でも恋愛には、これがない。動機が違うわけです。

だから

「色恋」は心理戦での戦いになるわけだけれど、
「恋愛」は心理戦だけでは、上手くいかない。

というか、「恋愛」においては、Hも金もゴールではないから。奇麗事じゃない箇所も受け入れないといけないから、もっと大変なんだよね。

逆に対象となる存在がいる場合は、「なぜその人を好きと感じるのか?」この動機が重要となるわけ。

<好み>と<依存>の関連性というものがあって、

この%の比率がどの程度かをはからないといけない。

<好み>というものは幼少期の刺激によって決まる要因が高いので、そこに<依存>しているだけの場合があるからだ。

ようするに自分の<好き>という感情は、<好き>と思わされているだけかもしれない。

洗脳されてるだけという場合があるわけ。

これを見抜いて克服することができるのは自分自身だから、自分で自分を分析する「自己分析」の能力が大切になる。

以前、女で「背の高い人が好み」という女がいた。これはいっけんすると普通に感じるだろう。

ところが「家族が皆、背が高いから高身長の男しか愛せない」と言い出す。

さらに「普通の身長の人と付き合ったけれど好きになれなかった」と言う。

これは<恋愛>ではなく<依存>なんだよね。

深層心理では、依存から抜け出したいと思っているから、この身長にたいする好みを告白してくるわけ。さらに低身長と付き合った感想も言ってくる。

だから俺は「背が高いけど体臭が臭かったらどうする?」と質問するわけ。なぜこういう選択肢をあたえるかと言うと、感情を揺さぶるためだ。

好みを恋愛対象と勘違いしている心理状態にたいして、それに反する特徴を付随させて考えさせる。

この文章を読んでる、あなたにも、冷静に考えてみてほしい。

「高身長」「体臭」どちらも、人物像における中身が携わってないわけだ。

「心」「愛情」「思いやり」そういった内面的要素が抜け落ちている

外面的要素のみで構成されたものを<恋愛感情と勘違い>して認識しようとしてるわけだ。

だから<作られた好みというフレームワーク>を自ら作って、それに当てはめようとしてるだけなの。

これに当てはまらない範囲を除外するように、自分で心理操作してるだけで、
その先を越えていないから、人の心にまで入り込めていない。

これは恋愛ではない。

なぜなら一切の恋愛感情を抜きにして、騙せてしまうからだ。

高身長であることは<条件>なだけで、しかもその条件は<刷り込み>でしかない。

この状態を抜け出すには、違う<刷り込み>を与えればいい。

俺は体臭というキーワードで刷り込みを薄めたわけだ。

体臭という言葉には嫌悪感があるはずだから、
その感情を利用して女にイメージさせたわけだ。

ここまでの話は、すべてテクニックであり、恋愛とは関係ない。

しかも俺はカウンセリングの手法を使うから、<依存>の割合をいかに減らせるかにも着目してせっする。

では「恋愛」というものは、どこに存在するのか?というと、

その先にあるものとなる。

「外面的要素」はファーストインプレッションにおける刺激、つまり興味をもつきっかけにしかすぎないわけだが、

この状態が100%の比率で人を好きになっている場合は、単なる依存である場合が多い。(というか依存なんだけどね)

この「外面的要素」と「内面的要素」の比率がどのぐらいのバランスで好きなのかが大切。

そして「外面的要素」が0%になっても、相手と一緒にいれる【覚悟】があるかどうかが<恋愛の鍵>となる。

ちなみに<恋愛>と<結婚>は別だ。

多くの者が別扱いすることにたいして、俺は、それが事実であるかどうか20年間という歳月をかけて研究したが、やはり別だという結論にたっする。

なぜなら<生活>が入り込むから、恋愛感情とは別に「生活習慣」という新しい要因が必要になる。

これは幼少期から大人になるまでの生活環境が関係してくるので、「心」や「気持ち」といった恋愛感情だけではクリアできないわけ。

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