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■2021/08/06(金)※【レビュー】■2001/05/12 (土) へろへろ君!の巻

>今日でサンジ展も最後です。
>最後の客は昔クラブで逆ナンされて仲良くなった女。

これはナンパ師になる前に出会った女だね。

>酒を飲みながら恋愛話しになりました。
>Y@本命の話しもしました。

>女「でも相手がどう思ってるかわかんないじゃん?」
>俺「そんなこと解ってるちゅーねん!」
>女「今会わなかったら一生会えないかもよ?」

>・・・( ̄へ ̄; どないせぇちゅーねん!

>俺はこのまま中途半端に関係続けてもしょうがないと思う。

>木を見て森を見ず!

>今 俺は木ばかりの森でさ迷っている。

>木 木 木 木

>でも俺は森の中にいる。 

>頂上を目指さないかぎり永遠に木しか見えない。

>やがて頂上についたとき、見える景色は俺のイメージと違うかもしれない。

>でも・・・

>すべてが許せる気がする。。。

うーん、全てを許せてるのかなぁ???

難しいよな、全部を許すというのは、人生の全てを許すのってさ。

でもって、昔は、こういう深い話が、男女ともにできてたんだよな。
最近は、「考えたくない病」の奴が多すぎて、俺としては、凄くキツイんだよな。

「悩まない」は「悩んだ先にある」からね。

マイナス思考の先に、プラス思考があるわけ。

意識してプラス思考になったって、それは「歪み」をうむから。

どこかで対自しなきゃいけないんだわ。

臭いものに蓋をしても、

なぜ臭いモノになったのか?
その臭いモノをどうすることが全体のバランスがとれるのか?

そこを考えないといけない。

善悪って両極端じゃないのね。AかBかを選択する行為じたいが違うの。

環境学の本とか読むとわかるけれど、環境においては、その存在じたいを、どの場所に置けば調和がとれるのかが正しいこととされる。

環境における善悪は個ではないし全体でもなく、ポジショニングなんだよね。

心理学、行動分析学、物理学、遺伝子学とか、いろいろな事から読み解こうと俺はするんだけれど、

俺は考える事も、悩むことも、別に苦じゃないからなぁ。

「答え」はすぐに見つかる事もあれば、何年もかかることもある。

でも「答え」が出ると、もう悩みではなくなるからね。だから新たな「問い」を探すわけだ。

別に相手に押し付けてるわけではないけれど、
様々な人の見解って貴重だから、それは聞くようにはしてるんだが、

「考えたくない病」は、自ら洗脳されたがってるわけだからねぇ・・・

そこにつけこんで利益をむさぼろうとする行為も、俺としては、あまりやりたくないんだよなぁ。

俺がしてる事は、経験のデータベースを蓄積と披露しているだけにしかすぎず、そこから「ヒント」を見つけて、自らの「答え」を導きだして欲しいということなんだよね。

「あきらめる」ことは今すぐできる。
「あらがう」ことはは今しかできない。

例えば化学にしろ学問にしろ、技法にしろ、全ては発見することであり、無から作り上げたものではないわけだ。

はじめから、そこにある現象を、人間が時間をかけて発見しただけにしかすぎない。

答えは、太古の昔からあるんだよ。
それを見つけられたかどうかで、文明の発展が違うというだけ。

昔が劣ってて、最新なものが最高?そうとは限らないだろ?

価値というものは、個々の底に眠っているものだから、
それを呼び起こさないと、たどり着けない。

俺は考えることが好きだけれど、
それは哲学なのか?というと、また少し違うんだよね。

哲学が好きな人は、哲学書をベースにして全てを引用しはじめるから。
それは哲学オタクであり、哲学洗脳であり、

固執してると、また見失うんだよね。

そうじゃなく、カオスの中から発見する感じなんだよね。俺が言いたいのは。

教育は人類全てに平等に与えられているわけではない。
それなのに、そこを基本ベースにして公平に語り合おうというのは無理がある。

だから知識や知恵や感情は、いったん吐き出すことに意味がある。
アウトプットがあって、インプットがあるようにね。

脳機能が何らかの障害で停止したとしても、刺激を与え続けると戻ったりするんだよ。

脳の片方を失っても、思考と刺激を脳に与え続けると、片方の脳が増加して、左脳が右脳の役割をしたり、その逆の現象がおきたりもするんだ。

だから刺激って大切なんだ。

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